修了証書
池田義三さんがハルピン嚮導訓練所を修了した時の証明書
No.47で紹介した池田義三さんが、ハルピン嚮導訓練所で2年の訓練課程を終えた時の修了証書です。嚮導訓練所長の証明を受けて、義勇軍本部訓練所長が修了証書を授与する形が取られました。
・満洲開拓青年義勇隊嚮導(きょうどう)訓練所長 陸軍少尉正4位勲2等功3級 川原侃
・満洲開拓青年義勇隊訓練本部長 陸軍中尉正4位勲2等功3級 井上政吉
戦後池田さんが書き残していた手記によると、1941(昭和16)年訓練所入所者は190名ほど。日課は学科・体育・武道などの組み合わせで行われました。相撲の(元)天竜関*が指導に来たこともあるそうです。
次第に軍事訓練が多くなり、学科も皇国教育を中心としたものになりつつあったといいます。関東軍特別演習(1941年7月)の際は、訓練生が交代で兵站の確保や警備につき、8月末まで学習農耕は中断されました。
2年生になると勤労奉仕と卒業前研修旅行として、撫順炭鉱や南満へ行きました。
「露天掘りの撫順炭鉱の規模と機械化の巨大なのに目を見張り乍ら、一方では広い鉱内の鉄路沿線に、ここで労働に着いていたであろう苦力が行路死亡人(行き倒れ)となって何体も横たわっている姿を見た。」とその印象をつづっています。
こうして嚮導訓練所での生活を終え、3月26日に卒業したのでした。
*天竜関 (1903~1989)
本名和久田三郎。静岡県出身の力士で1930(昭和5)年に関脇となる。1932(昭和7)年日本相撲協会に対して改革を求める立てこもり事件を起こす(春秋園事件)。1937(昭和12)年に現役としては一線を退くが、翌年満州へ渡り、敗戦まで相撲の普及や若手の育成に力を尽くした。