全開拓団データ一覧表

約27万人と言われている満蒙開拓団。各団の人数や入植地など全体を網羅した正確なデータはありません。最も信憑性が高いのは、1950年に当時の外務省管理局引揚課が各都道府県におこなった調査で、それを基にした在籍人数や戦後の越冬地などの概況が『満洲開拓史』に掲載されています。しかしこれも帰還団員の幹部や資料保持者がつかめないため「約1割が調査未完了」であり、実態は把握できないまま現在に至っています。

記念館では、その『満洲開拓史』や各開拓団・義勇隊が戦後に発行した記録集など全国からの寄贈品を基に、開拓団データ一覧表作成に取り組んできました。旧満州の入植地(省・県名)、種別(開拓団・義勇隊・報国農場・開拓女塾等)、入植年月日、団・中隊名、送出地(出身県市町村名)、在籍人数、死亡者数など、確認できる限りのデータを入力したものです。

 今後も、新しい情報などを随時加筆・訂正してまいります。


ダウンロード
開拓団データ一覧表_20240425.xlsx
Microsoft Excel 258.9 KB
ダウンロード
開拓団一覧表 解説_20240425.pdf
PDFファイル 608.8 KB


【表の見方】

・地名は「満州国」当時のもの

・種別について

 ◇集団:200~300戸で構成。昭和7年入植が第1次。以降、年次を追って20年第14次まで。 

  例:「集団10」は昭和16年入植の集団開拓団

 ◇集合:30~100戸で構成。いわゆる自由移民や転業開拓団も属する。

  昭和7~15年が第1次。16年第2次、17年第3次、18年からは集団に統一された。

 ◇分散:30戸以下の少数集団で入植。林業開拓団、煙草開拓団などがある。

 ◇農工:関東軍官下に置かれ、兵器の管理の傍ら農耕に従事する軍属として募集された。

 ◇自警村:満鉄が鉄道警備の傍ら農耕に従事する開拓村として軍歴のある人が募集された。

 ◇義勇:義勇隊開拓団(3年間の訓練を終えて開拓団として入植したもの)

 ◇訓練所:義勇軍で終戦時に訓練所にいた中隊

 ◇報農:報国農場。食糧増産を目的に設置された農場で、勤労奉仕隊が4月から約7カ月滞在して農耕した。

 ◇女塾:開拓民の男性の配偶者を養成する訓練所。

 ◇実農:開拓農業実験場。北海道農法導入のための実験農場で、北海道農会が募集、北海道農家が入植した。

 ◇病院:ハルピン中央医院。青少年義勇軍の医療施設。付属機関として看護婦養成所が開設された。

・入植地県名の読みは現地の地名を日本語読みにしたもの

・入植年は昭和で記載

・義勇軍の団名の(  )は途中で中隊長(開拓団移行後は団長)が交代しているもの

・数字が空欄のところは不明

・人数は必ずしも正確なものではない。

・「未帰国」は1950年調査時点のもので、行方不明者、残留者などが含まれる。

・主な参考資料 

『満洲開拓史』(満洲開拓史復刊委員会編 全国拓友協議会発行 1966)

『写真集 満蒙開拓青少年義勇軍』(全国拓友協議会編 家の光協会制作・発行 1975)

『満州 1945年』(木島三千男編 地久館発行 1986)