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寄贈品 №43

海の外  ① 第244号(昭和17年8月号) ② 第252号(昭和18年4月号)

発行:信濃海外協会海の外社 

①244号 発行 1942(昭和17)年8月1日 サイズ 21×14.7、38頁

②252号 発行 1943(昭和18)年4月1日 サイズ 21×14.7、26頁 

信濃海外協会発行の機関雑誌


全国一満蒙開拓団を送り出した長野県で、その送出に力を入れていた団体のひとつに信濃海外協会があります。1922(大正11)年に創立された同協会は1920年代を通して海外発展思想を広め、県民の海外進出に努めました。設立当初は主に南米ブラジルへの移住地建設を推進し、サンパウロ州にアリアンサと呼ばれる移住地もつくっています。1930年代以降は満蒙開拓の国策化に伴い、満州移民を強く推し進めるようになっていきました。

ここで紹介している雑誌『海の外』は、日米開戦によって戦争への動員体制が一層求められる時期のもの。

 

①1942年発行の第244号は協会設立20周年に当たる節目として、これまでの活動や今後の事業計画等が特集されています。これからさらに国策を支持し進めていくためには、現在の組織力・経済力では足りないことから、郡市町村に支部を設置し、各種団体や部落会・町内会・隣組とも協力して満州・中南米への移民を推奨していくよう、組織の拡大を図ることなどが盛り込まれました。

 

②1943年発行の第252号では、満州開拓特別指導郡の指定を受けた下伊那郡の分村推進講習会の様子(同年3/5~3/7飯田市で開催)が大きく取り上げられました。元農相石黒忠篤を招いての講演会も行われ、国策完全遂行を誓ったといいます。また満州への女性進出といった寄稿も載せられました。「友邦満洲国の建設育成に貢献するは、国民として、また信州婦人として、当然なすべきことの、一大要務ではあるまいか」

 

記念館所蔵はこの2冊だけですが、第1号から眺めてみれば、南米から満州へとその力点が推移する様子もうかがえるのかもしれません。