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寄贈品 №41

満洲信濃村建設郡市協議会要綱

製作年:1937(昭和12)年 発行:長野県

26.5×39.2 

長野県全体で募集する信濃村開拓団建設について開いた協議会次第

全国で最も多くの満蒙開拓団を送り出した長野県。

満州移民が国策となった1936(昭和11)年から、県全体で募集した「信濃村」「長野村」といった開拓団が送出されていきます。県では各郡市において協議会を開き、計画実現に向けた取り組みが始まりました。

1937(昭和12)年6月22日~30日各郡市16ヶ所で行われた協議会では、第5次信濃村の建設状況を報告するとともに、第6次本隊と第8次先遣隊募集について説明。この資料を見る限り、実際に参加があったかどうかはわかりませんが、出席者には各市町村長および移殖民係・農会長並技術員・産業組合長・在郷軍人分会長・男子女子青年団長・青年学校長および中等学校長などの肩書きが連なり、役場や青年団、産業組合や在郷軍人会、学校といった組織をフル稼働させて移民送出にあたるという勢いが伝わってくるようです。

 

協議事項のひとつに「市町村ニ於ケル集団移住計画樹立促進ニ関スル件」という項目が見られることから、それぞれの説明会で各自治体の移住計画提出という宿題が出されたのかもしれません。

「あなたの村では、いつまでに、どのくらい移民を送るのか、その計画を出しなさい」村同士の競争をあおり、目標を達成させる。満州移民大量送出の下地が着々とつくられていきました。