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寄贈品 №25

分村情報 第58号

 1941(昭和16)年10月1日発行 サイズ 21×15、64頁

長野県更生協会発行

満蒙開拓、特に分村移民に関する話題や情報をまとめた小雑誌

ここでは第56号(1941.9.1)から第65号(1941.1.15)をまとめた綴りから第58号を取り上げた

 長野県更生協会は、県内からの満州移民を推し進めるため『分村情報』を編集・発行していました。毎月1日・15日発行のこの雑誌には開拓団を送り出す元村の情報(母村情報)、満州現地における分村の様子(分村情報)、各開拓団や義勇軍訓練所からの通信、また現地へ数ヶ月農作業のお手伝いに行く勤労奉仕隊からの手紙文(分村増産班便り)などを掲載しています。

 

今号ではたとえば“母村情報”の欄で、「信州人と開拓」として満州国参議小平権一氏(長野県現茅野市出身)の取材記事を紹介。「大いに満州へ出かけてもらわにゃ困る」「満州移民も法制化して強制力を以てしたらどうですか」といった言葉が並びます。また“分村増産班便り”では、万金山高社郷開拓団の水田作業班の一人が、現地の中国人(主には開田を頼んだ苦力を見ていて感じたこと)について語ります。衣食住の程度は家畜同然、粗食だけれど大食で、「何の道楽もなく一体働いた金を何に使うのだろう、ただ雨降りや休日にバクチを盛んにやる事と阿片を吸って寝ている様を見るだけだ」と観察しています。

ここには一片の軽蔑や不快感のようなものも感じられますが、ではなぜ彼ら「苦力」と呼ばれる人々はこうした生活をし、日本人のもとで働いているのか。その背景にこそ想いを馳せてみたいものです。