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寄贈品 №4

シベリアからのはがき 4通

西窪彌さん 1927生まれ、長野県出身、第5次信州総合義勇隊久保田中隊所属

シベリア抑留時の1947-1948(昭和22~23)年に長野県東筑摩郡宗賀村の家族にあてたはがき4通

サイズ 9cm×14.5cm又は10cm×14.5cm

長野県から満蒙開拓青少年義勇軍に参加し、戦後シベリア抑留された竹澤彌(わたる)さん(旧姓西窪)が家族にあてて出したはがきです。1947(昭和22)年に出されたものはカタカナで、翌年5月に出されたものは漢字・ひらがなで書かれています。

検閲などもあったことから、どこまで本当のことが書けたかはわかりません。それでも、制限のある中で、自分の状況を知らせたいという想い、故郷のお父さんお母さん、兄弟たちを気遣う健気な気持ちを想像してみることができます。

 また、ソ連では抑留した日本人に対して社会主義/共産主義教育を行っていました。その考え方に共鳴したのでしょうか、そのふりをしたのでしょうか、彌少年も帰国後は立派な日本を造るために「反動」たちと闘うのだと宣言しています。これまでの軍国教育とは違った思想に惹きつけられた若者たちも、少なくなかったのでした。


1947年1月20日受取

拝啓 長年ご無沙汰いたしましてすみません。僕も元気でおりますから心配しないでください。

家の者は皆元気ですか。兄さんはどうですか。家におりますか。元気ですか。

お父さんお母さんも年が寄り、顔が変わったことと思います。畑の仕事もご苦労さまです。僕も家を出て以来5年も経ちました。

月日の流れることは早いものですね。

ヨシノリ、ミチヤスも大きくなったことと思います。

長いこと便りがなかったために、お父さんお母さんさぞかし心配したことと思います。僕も元気でおりますから決して心配しないでくださいませ。

お正月も近づいてきましたですね。

ではごきげんよう。元気でね。達者でね。さようなら。

 



長らくご無沙汰いたしました。僕もおかげさまで元気ですからご安心ください。前に出した手紙着いたですか。これで2回目です。

お父さんお母さんも元気でお暮らしのことと思います。カンジ兄さんも家におることと思います。姉さんも妹、弟も皆元気ですか。お家には何の変わりもございませんか。

自分もソ同盟で毎日元気で暮らしておりますからなにとぞご安心ください。内地でも労働者、農民は反動どもと闘っていることと思います。僕も早く帰って闘争する覚悟で毎日勉強しております。ではお身体を大切に元気で暮らしてください。ではまた。

さようなら。「わたる」

 

1947年10月11日受取



1947年9月23日受取

拝啓 ご無沙汰いたしました。家の皆さまにはお変わりございませんか。僕もソ同盟に元気で暮らしておりますからご安心ください。これで送信も3回目です。前の二信は家に着いたですか。

僕もソ同盟にて大いに勉強しておりますから、内地に帰った暁は大いに張りきり、ソ同盟で鍛えたこの腕で、きっと反動どもと闘争して立派な日本を造ります。

自分の帰るのを待っていてください。皆々様どうか元気で暮らしてください。自分もきっと帰りますから。ではまた。

さようなら。わたる出し。

 



拝啓 長らくご無沙汰致しました。其の後家内一同皆元気の事と思います。

僕も益々元気旺盛で勤務に邁進致しておりますから御安心下さい。

近くにある水湖も氷がとけて近日中には沐浴ができます。魚もたくさんとれます。山にはツツジの花が咲きとても美しいです。ソ同盟におっても内地の情況は全部わかります。

僕の事は心配しないでください。元気で帰りますから。祖国に帰った時にはシベリヤで鍛えた体で民主日本の再建に一路進む覚悟で毎日学んでおります。

妹と弟も6年間も見ません。きっと大きくなっておる事でしょう。勉強をしっかりやる様に。兄さんも負けずに学ぶ。

作業時間は8時間です。兵舎に帰ったら自由時間です。作業に出発する時は皆元気で民主歌を合唱して元気で行きます。ソ同盟の人はとても良い人です。人種差別は全然ありません。日本人に対してはとても親切であります。何一つ心配する事はありません。ではまた。

左様奈良(第五回目)

御体御大切に

 

 

1948年8月18日受取