5月26日(日)FacebookLive配信

#1 寺沢館長の言葉 はじめに

 

皆さんどうもこんばんは。記念館の館長をさせていただいています、寺沢秀文です。クラウドファンディングへのご理解、ご協力をいただいておりますこと、本当にありがとうございます。

私からは、改めてこの記念館で語り継いでいる満蒙開拓を語り継ぐことの意義、それから、この記念館について少し触れさせていただければと思います。

 

かつて全国各地から約27万人という、たくさんの満蒙開拓団という移民団が、旧満州、現在の中国東北地方になりますけれども、そこに渡り、多くの犠牲を出した。

その犠牲はもちろん日本人の開拓団だけではなくて、現地の中国人の人々を含めてたくさんの犠牲を出した、この満蒙開拓という歴史を語り継いで、そして、その中から平和の尊さを学んで、そして平和を発信していくための拠点とすべく、この記念館は、もう6年前になりますけれど、平成25年の4月に民間の運営によって、そして多くの皆さんのご協力によってこの記念館は開館されました。

 

それからもう6年も過ぎるわけですけれど、南信州の山の中の小さな記念館ではありますけれども、これまでに約16万2000人という多くの方々、年間約2万7000人近くの方々に、この記念館にご来館いただいております。

#2 寺沢館長の言葉 歴史(事実)を知ること

さて、この記念館では、なぜ、先ほども言ったような、27万という多くの開拓団が満州に渡って行ったのか、その歴史的な理由や背景について取り上げ、そして開拓団の人々の現地での生活の様子、それから終戦前後の開拓団の皆さんの犠牲。

 そういった日本人の開拓団の皆さんの生活の様子や犠牲についても取り上げておりますが、同時に日本人側の開拓団だけではなく、現地の中国人などにも多くの被害を与えた、加害という点も含め取り上げることをこの記念館の基本的なスタンスとしております。

 

この満蒙開拓という歴史はこれまであまり不都合な歴史として、学校の授業などでも取り上げて来られなかった、いわば向き合いにくい歴史であったかと思います。

 しかし、私たちはこの満蒙開拓という歴史の中から、なぜ多くの犠牲を出してしまったのか、二度とそういった過ちを繰り返すことのないように、そして未来の平和を築いていくためにこの満蒙開拓という歴史の中から学んでいきたい、そのために満蒙開拓の歴史について語り継いでいくことが大切であると考えております。

#3 寺沢館長の言葉 「私の両親も実は元満蒙開拓員でした。」

私事になりますが、私の両親も実は元満蒙開拓でした。

一番上の兄は現地で生まれておりますが、わずか一歳で現地の避難民収容所で、終戦の冬を越すことができずに一歳の命を落としております。その子供を亡くした両親はこの長野県の山の中に入って、今度こそ本当の開拓をするわけなんですね。

本当の開拓というのは実は最初に満州に渡っていった時はもう既に家や畑が用意されていました。それが何を意味するかというと、満蒙開拓とは言いますけれど、実際には現地のそこにいた人々の家や畑を非常に安い値段で買い上げて、そこに日本人が入っていったという形が多くを締めるわけですね。

もちろん一部には実際に奥地に入っていって自分で開墾した開拓団もいるわけですが、多くの人はそういう風に入っていったので、現地の中国人は日本人のことを恨んでいたわけです。

 

そういったことがありますので父親は日本に帰ってから、今度こそ本当の開拓、開墾をするなかで、改めて私が子供の頃から父が語っていたのは、本当の開拓の苦労をしてみて、改めて当時、自分たちの大切な家や畑を日本人に奪われてしまった中国の農民たちの悔しさや悲しさがよくわかった、ということを、子供の頃からよく話をしてくれていました。

#4 寺沢館長の言葉 記念館の意義と現実

今私がこうして記念館で活動しているのも、父の言葉が一番の原点になっております。私も記念館では元開拓団の皆さんの体験談や証言も含め、満蒙開拓とはなんだったのか、ということを皆さんに伝えていくことをこの記念館の基本的なスタンスとしております。

そして私たちはこの記念館を通じて、二度と多くの被害を出すことがないような平和な時代を築いていくためにこういった歴史なんだということを、特に若い皆さんに伝えていきたいと思っております。

 

この記念館では地元の生徒の皆さんも訪問されますけど、同時に県外からも修学旅行が少しづつ入ってきています。しかしこの記念館、残念ながら手狭なものですから、なかなか受け入れることが難しい状況ではありました。

そこで、こういった歴史をより多くの若い人々中心に聞いていただくために、セミナー棟を建設することになったのが今回のスタートでございました。このセミナー棟を通じてぜひ多くの若い人たちに満蒙開拓という歴史を語り継いでいきたいと思います。

とは言いながらこの満蒙開拓平和記念館、民間の運営でございます。財政的に厳しい中でなんとかセミナー棟をしっかりと作り上げ、満蒙開拓の歴史について発信していくことにより、この伊那谷から平和を発信していきたい、平和の種まきをこの記念館から発信していきたいと思っております。

 

どうかこれからもこの満蒙開拓平和記念館に多大なご支援をいただきますとともに、私共も頑張っていきますということをお話し申し上げまして、代表としての御礼とお願いとさせていただきます。本当にありがとうございました。

中学生のなぜ Q&A

先日のfacebookライブにて、中学生からいただいた質問に寺沢館長から回答する時間を設けさせていただきました。

下記にその文字起こしをいたしましたので、ぜひご覧いただきたいです。

 

Q:「満州の様子は、日本に伝わっていたのでしょうか。」

A:そうですね、やっぱり今の時代と違ってテレビとかあるわけではないし、今ほどには伝わる方法がなかったので人から聞いたりとか、新聞で読んだりとしか伝わってなかったので、あまり詳しくは伝わってなかった、という風には聞いています。 

 

Q:「ソ連や中国の人に追われるようになることを当時は予測できかなったのですか」

A:一般の開拓団として渡って行った皆さんも、現地では多分平和な生活があるだろうと思って行っていたし、そんなに危険な場所だということをどこまで知っていたかというと非常に難しくて、まさかそんなことに最後はなるとは思わずに平和な生活が待ってるだろうと思って渡って行った人がほとんどを占めていたと思います。

 

Q:「なんで開拓団の人は日本が敗けるということを考えなかったのですか」

A:そのころの日本の教育というのは、戦争に勝ち続けていたので、日本や強い国だと思っていたし、敗けるということは学校教育の中で教えてもらえなかったので、きっと思っていなかった。

 

Q:「満州にもともといた現地の人と仲良くする方法ななかったのですか」

A:あの、もちろん開拓団として渡っていく人たちも、基本的には平和に暮らしたいと思っていったんでしょうけど、日本にいる時から教育として日本人の方が優れているんだ、とか現地の人々を下に見るような教育が当時はやっぱりあり、そういった中で民族的な差別とかがある中でやはり現地では結果として民族差別が起きてしまっていた、という風に聞いています。

 

Q:「満蒙開拓は日本に利益をもたらしていたのでしょうか?また結果的に満蒙開拓は日本にとって良いものだったんですか?」

A:難しい質問ですけど結果としてこれが多くの日本人が犠牲になり、そして現地の中国の人々も多くの犠牲を出してしまったということの方が大きくて、日本自体としてどれだけの利益を与えたかどうかということに対し、結果としては大きな利益を与えられなかった、ということが満蒙開拓の結果だとして受け止めざるを得ないと思います。

 

Q:「中国の人たちは今でも日本人を嫌っていますか?」

A:難しい質問ですね。正直なところそういった方も中にはいらっしゃいます。ですが中には本当に実際にあって親しくなれば同じ人間どうしでやっぱりお互いに信頼できるって人もいっぱいいると思います。ですが残念ながらそこに到るまでにそういったお互いが、片側だけの情報が入ってくるとどうしても、日本人は嫌いだなー、って思う人もいる訳なので、まぁそれをどうやって解決しようか、やっぱりお互いを理解し合う、歴史を知りたいと思っているという姿勢を私たちも示していくことがそういった誤解をといて仲良くしていくための始まりだなぁ、と思っています。

 

Q:「なぜ戦争体験者の方々が今になって満蒙開拓のことなど語り始めたのか知りたい」

A:あの、確かに満蒙開拓というのは最後の場面で集団自決とか悲しい、あまり語りたくないようなことがいっぱいあったりとか、先ほどのように中国の人々に迷惑をかけてしまった、っていう思いもありますから、あまり語りたくないという方が多かったんですね。

でも今になってみて、やはりああいった多くの仲間たちや家族が死んだという歴史を思い出した時に、二度とそういったことがあってはいけないと、そのためには今そのことを知っている私たちが話さなければならない、そして、あまりにも生々しすぎて話せなかったことが、時間が経過することで今なら話せると。

そういったことが加わって、ようやく今多くの人が話していただける状況になった、っていうことが今だと思いますけどね。